お局ちゃんの人達。

お局ちゃんの人達。

えーびーがた「地球ロックンロード」の稽古に見学で、丹下真寿美嬢、是常祐美嬢が来てくれた。1日遅れで小野村さんの誕生日もお祝いできた。この日は賑やかな稽古場でありました。

もうあとひと月程で初日の幕があがる。割とがっつりと稽古している我々。是常さん丹下さんの二人はたくさんアドバイスをくれた。「ちょっと見て」の印象がこの段階でもらえるのはとてもありがたい。

演出・真壁は獅子奮迅の如く頭をフル回転。勝手ながら、演出の右も左もわからなかった、かつての自分がぶつかった壁と似た壁と向き合っていたりもする。挑戦する人間の姿勢は見ていてかっっこいい。そして彼女は自分のことが見えていない場合でも、周りを観察したり状況を把握する能力がとても高い。改めてディレクションに向いていると思う。

で芝居にとことんまで向き合うスタンスで日々覚悟みたいなものが強まっている。もうすっかり立派な演出家だ。

最近、再確認する。
「解る」と「出来る」の圧倒的な差を。
物事を正確に捉え解釈することができるのも能力だし、思いついた演技、求められているプランを演じられるのも立派な能力だ。創作の場で役者にはこの二つの両方の能力が同時に求められる。
ところが「わかった」=「できた」と勘違いを起こす人も少なからずいて、いざやってみたら、わかっていてもできてはいない、なんてことも。
それに演技プランは備えや試みとしては充分に用意しておくべきだけど、稽古や本番で、そのプランでが通用しないと直感した時にどれだけ良いと思っていても、容赦なく捨て去り新しいプランや、共演者の提案に乗っかってみる、と行った思い切りも必要だ。エチュード方式でよく応用されるけれども、普通に脚本を元に行う稽古でも同じ。

正解はないけど、なんだかアンニュイな打開策でできた気になるのが一番危険で、どんなことでもまぐれや奇跡はそんな都合良く起きはしないのだから、演技プランを実現する場合は、かなりの確率で、具体的なまでに具体的な攻略が必要だ。精神論ではなく技術の一つとして。そしてその技術は、急に出来るようになったりはしない。例えば「二度見」の稽古にしたって、毎日時間が許す限りやり込まなければ体得できない。この辺りは器械体操やダンスの技と似ているけど、役者の技は曖昧で「ここは流れでやってみて」みたいな希望的観測のもと無尽蔵に無作為に無意識に繰り返される中で、初見ではあった驚きや新鮮さが失われる。

で、おれが思う良い役者は、ステータスを低く設定する事に重きを置いている。言い方はいっぱいあって「格好つけない」「陰を背負う」「惨めになる」。最近はこの逆を目指し「格好つけて」「光を背負い」「誇らし気」に持っていくタイプが多く見られる。それはそれで良い部分もあるんだけど、素材の時点で、若かったり綺麗だったり男前だったり、と、かなり恵まれている人材がやるとめちゃめちゃ格好いいけど、そうでもなかった場合はコスプレイヤーさん達よりも悲惨な事になる。まぁ、誰でも人気者になれるわけじゃないので自分を知って、自分にあったプレイスタイルを見つけるしかない。

まだいける!
誰の話かって。自分自身に言い聞かせるちょっとした演劇論の論にもならない小さな見栄みたいなコツ。

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