暖簾に腕押し。

暖簾に腕押し。

解決すべき問題があれば解決に向かうし、遠慮なんかしてたら芝居なんて作れない。

その延長線上での意見の食い違いを「衝突」と捉えるか「意見の交換」と捉えるかによって感じ方は随分違うわけで、ネガティブ思考かポジティブ思考か、大きく分岐するポイントだ。自分は割と「衝突」は怖くない。とこの際だから言っておく方がわかりやすくて良い。

おれすごいだろ? って言いたいわけじゃなくて「意見の交換」をしっかりしたい。これは作品をより面白くするためのディスカッションを試みるアプローチであって、相手を怯ませたり、驚かせたりするのが目的ではなく直球で作品をズバリ射抜くことが多々ある。

その際に「傷つきました」「びっくりしました」「言い方が……ゴニョゴニョ」と感情を引き合いに出されると、人の話をしてるんじゃなくて作品の話をしているのになんで感情論を持ち出すんだろうとなる。意見の交換どころではなくなるので当初の目的のディスカッションとは遠のく一方だ。

しかし、丁寧に前置きを重ね慎重に言葉を選びながら意見を出したからと言って、特段、クリエイティブな反応は返ってこない。その場限りの一応の同意があって、その舌の根も乾かないうちに別の行動に出る事もある。じゃあ前回のやり取りは一体なんだったのって話で事実上足踏みが続く。

そりゃまぁ傷つけもしたかもしれない。びっくりもさせたかもしれない。でも、打ち合わせ等に際して準備もままならない状態で現場に挑んでいる事の方がおれからすればビックリ仰天ですよ。今の現場において「こんな現場になるなんて想定はしてなかった」だなんて言わても、「うそやろ【大体こうなるで】みたいな感じでいてたやん。どんなスタンスなんそれ。」となる。驚きを隠さずにはいられない。

色々と物事を進めながら思い知った事は、ああ、そうか、この手の人種は、「傷つきたくない」し「傷つけたくない」し「丸く収めたい」し「努力はしてると主張したい」し「嫌われたくない」し「円満に済ませたい」んだ。間違っても「人に嫌われてでも芝居が作ろう!」だなんて思ってもいないんだ、という事。こういう人種がとても多いという事。

誤解されたくないのは別に論争が好きと言うわけはなく、誰かに攻撃したいわけでもなく、敵を作りたいわけでもなく、一本の作品をお客さんにお届けしたいという単純な気持ち。ここにより良くするためのブラッシュアップも含んでいる。

観る側は自由に解釈してください!という作風や劇作の在り方はとても好きだが、作り手側が「書かれてある自分の台詞の意味は理解できないが書いてある台詞は言う」みたいなことをし始めたらもう、観る側の自由度が破茶滅茶になる。

論破される事を恥だと思っていたり、自分以外の意見が通るのを、自分が否定されたと捉えられると勘違いされたらもう何も出来なくなる。論破する事が目的じゃないんだから。「今いいアイデア思いついてないけど、その意見はお見事。でも悔しいから負けない代案を思いつくまで、一日の猶予をください」くらい言ってくれたら全然期待もできるけども。

「センスの違い」「感性の違い」「好みの違い」という言葉でボヤかしているけど、実はそうじゃない事をよくわかっている。どうあれ、終演までしっかりとした作品であるという責任は全うしたい。これに手がかからないうちは芝居はハネないし、面目丸つぶれでござるからして、そうならないように心掛けはするけども、その場合の代案も準備しておかねばなるまい。

暖簾に腕押しというこの諺の果てに、しっかりとした感触をこの手に掴める日はまだ遠いかもしれない。今出来なければ、多分10年後の自分にもきっと出来ない。
そんな難解かつ単純明快な迷路の中で、ゴールは見えているが、抜け出せない歯がゆさ故に筆を取る夜だ。

そんな中でも、明日は楽しみな事が一件。そもそも一年以上前くらいからじわじわと考えていた事が実現する。それに加えて、久しぶりに珍しい相手から連絡も来たり、心配している案件での連絡も入った。えーびーがた新聞の四コマ新作も完成した。

良いこともたくさんある。
あれもこれも、全ては来年のことを中心に。遅れた分は取り返すし、全然いける。えーびーがたのフライヤーデザインもなかなかイカしてます。