ボロは着てても心は錦。

ボロは着てても心は錦。

12月31日大晦日の朝。今年最後の日記の更新です。どうも片岡です。

2017年の事をたくさん振り返ります。お暇があればどうぞ最後まで読んでくださいね。

●年明けからPM/飛ぶ教室「足場の上のゴースト」。蟷螂さんに「半笑いでいろ」と言われ続けた南森町と冬の空。涙がちょちょ切れた伊丹AI・HALL。足場の軋みともらえたモノはずっと忘れない。実はこの正月、「足場の上のゴースト」の参考にと某建設現場に忍び込んで明け方に上の方まで登った。寒くて死にそうだった。そういう悪いことから始めた2017年。

2月、青子完本。手直し。ビジュアル撮影とデザイン。
3月、デザイン完成。末には顔合わせ。ダンスリハ。
4月、創作に夢中の日々。毎日やる事がある。充実。

●5月の片岡自動車工業Vol.2「名探偵青島青子 -劇場版-」に向けて、情報宣伝に駆け回ったり、出演者とたくさん話した。確認作業の連続で、個人的に久しぶりの新作だったので手を焼いた。青島青子は実に数年振りに一瀬尚代さんの手でヒロインデビューを果たした。きっと青子のスピンオフを作る事はもうないだろう。赤いHEP HALLで青い青子の話。ふざけた。おれは折の中。

●6月。札幌はコンカリーニョで吉田青弘一人芝居「突貫!拙者の一夜城」。太閤様と呼ばれる。旅公演は心を豊かにしてくれる。INDEPENDENTを通して出会えるモノの多さに恩恵を感じる。自分の演出能力を確かめながら、丁寧に再演に挑んだ。吉田青弘氏の名刺になるような作品をと思い作った小六がまさか北海道デビューするなんて。感慨深い。またやりたい。

●7月。伊藤えん魔プロデュース「百物語」。久しぶりのえん魔さんの現場。肩尾脱臼という絶妙な名前の役。苦手だったゾンビモノの映画を鑑賞しまくった。で、感染するならこんな感じとか研究し尽くしたのにゾンビモノでは珍しい「食い尽くされる」という役。2×8で脱臼しながら消えました。トークも難しかった。13年ぶりの百物語。えん魔さんは健在だ。

●東京に行く。30代最後の誕生日はカプセルホテルで味噌汁を啜っていた。この旅は自分の中でも豊かなものになった。江ノ島には寄れなかった。

●9月。ムーンビームマシン10周年記念公演「月雪の娘」出演。ファンタジーが体を通った。また新しい出会いもあったしなにより主宰のSarahさんとご一緒したこの公演の意味は自分の中でかなり大きい。自分も10年座長として劇団をやってきた。この公演に力を添える事が出来ただろうか。虎吉と言う力持ちの役。再演だが初演の事なんか知らんぜ。

●沖縄に行く。秋の沖縄はまだ暑くて、何度も一緒に沖縄にいっている上原日呂氏とたくさん笑った。また行こう。絶対にだ。

●11月。INDEPENDENT:17、今度は谷野まりえちゃん一人芝居「何億年先でも」の作演出。照れずに書いた脚本を、谷野まりえちゃんとじっくりと作った。自分が目指しているモノがわりと明確になっている作品。過去との決別、死神をモチーフに描いたひと季節のささやかな物語。彼女の描く「何億年先でも」の3ステージはどれもスペシャルだった。

●12月。佐藤太一郎企画その20「グッド・コマーシャル」in ルミネ the よしもと。芸人さんと過ごす稽古の日々と、既存脚本の強度とひたすら向き合った。東京に乗り込んで、気が付いたら本番だった。備えの大切さと人事を尽くす事の重要さ、そして祈るように本番を見届ける生粋の演出家に、おれはなれたような気がします。

旅と芝居をざっくり書いてみた。片岡自動車工業旗揚げ2年目にしてはハードスケジュールだったけれども無駄なことはひとつもなかった。2018年はこの倍はやる。身体の不具合はもう平気だ。立ち上がるのが2017年ならば2018年は飛び上がる年にする所存。

やればやるだけ敵も増えた。その分味方もたくさん出来た。そんな風におれを形成する細胞たちも、生まれた瞬間の細胞なんてもうひとつも残ってやしないくらいに破壊と再生を繰り返すけれども、ボロは着てても心は錦。トレードマークの紫一色のパーカーにも出会えた。劇団の末期、おれより先に根をあげてしまった一号にそっくりな二号パープル。そんな一張羅に、おれはまた袖を通した。長患いをしていた腰と歯も完治と言える頃、一歩また一歩前進するための身体へ。

30日に不意に訪れたささやかな忘年会で背筋が伸びた。人生はタイミングが全て。

最後になりましたが、今年一年、大変お世話になりました。

良いお年を。

LOVE。

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