劇場技術打ち合わせの巻。

劇場技術打ち合わせの巻。

稽古がお休みの本日は、劇場技術打ち合わせにドラマシティへ行ってまいりました。当日制作担当のチケットぴあの方と、そして舞台監督今井さん、出演者は真壁ちゃん、そして自分。

ずいぶん早い段階から作品の内容に関してはスタッフ打ち合わせで詰め始めていて、舞台図面や演出面でのあれこれを材料にタイムスケジュールも出ていて、不透明な部分は稽古で埋めるのみな状態にしてから劇場打ち合わせが出来ました。ここまで進めてくださった舞台監督の今井さんは本当に主宰の気持ちを汲んださり、そして時には叱ってくださるスタッフさん。

写真は劇場のチケット券売所前、宝塚歌劇団の豪華なチラシに囲まれて、「手にとってくれよ!」と叫んでいる「スーパーソニックジェット赤子」のフライヤー。

今日はそんな舞台監督今井さんとの事を綴りたいと思います。

普段は「ひゃっくん」、仕事の時は「片岡さん」と呼び方を変えてくださる今井さん。初めてお会いしたのは2004年だか2005年だか、月曜劇団さんの稽古現場での通し稽古に。もちろん舞台監督で。自分は役者で。
「あの人、芝居微妙やったら寝るで」と月曜劇団の上原日呂氏。その日の通しは本当にもたついちゃって本当に今井さんは居眠りしていました。いや当時から仕事はしっかりしてたけど出会いの現場はそこでした。

当初劇団を作りたいと考えていた自分は、ミジンコターボの旗揚げ公演(今はもうないけどArt Theater dBと言う新今宮の今はなきフェステバルゲートのこれまた今はなきジェットコースターの音が丸々聞こえてしまうオシャレな劇場)で初めて舞台監督をお願いしました。それからはスケジュールが合わない限りはほとんど今井さん。稀に今井さんのチームの方にもお願いすることもありましたが、10年間活動した劇団の旗揚げ公演解散公演の舞台監督が今井さんなのです。

風邪引くかも知んないくらい極寒の中、「稽古が足りてない!」といきりたった自分を嗜めてくれたのも、「開演に間に合わない!」と右往左往していた自分に「とにかく片岡さんが舞台に出て説明をして来るべき」と指示をくれたのも今井さん。昨年の二本立てで公演中に震災があり、公演を見合わせるかどうか、一番最初に連絡を取ったのも、その時、一番震源地に近い場所にいたのも全部今井さん。数時間かけて復旧作業をしに劇場に辿り着いてくれました。頼れるスタッフさんには歴史も経験もありますが、今井さんと自分が共に過ごした数々の舞台はそんじょそこらでは経験できるものではないんじゃないかなぁと思います。

【役者が止むを得ない事情で降板することになった時】
【体調が悪くなった役者が病院に担ぎ込まれ上演ができなかった時】
【開演直前に劇場の電源が落ちた時】
【舞台装置が見事に機能しなくなって転換が行えなかった時】
【唯一の劇場最寄り駅が運行見合わせでお客様の未着が半数近くの時】
【本番の10日前に自分が入院して車椅子生活になった時】
【本番期間中に大きな震災があった時】

今思い出すだけでもこれだけあるんだけども、あれ? なんだか今井さんが舞台監督の時に限って、大抵何かが起こっているような気もしてきた。偶然って怖いね。いや、そう言うことが書きたいんじゃなくて、どんな境遇になっても常に舞台を楽しみにして下さっているお客様の事を考えて行動をしてくれている事。何がなんでも上演したいに決まってるじゃないですか。でもどう考えても現実的ではない場合、上演することが危険と判断される時、いつもポジティブに判断をしなさいと進言し続けてくれる今井さんなのです。そんな今井さんに今回の劇場の利用が正式に決定した時、真っ先に依頼をしたら一番最初に今井さんがかけて下さった言葉が「おめでとうございます」でした。

そんなおめでとうございますにしっかりと応えるべく、準備を重ねております。初劇場の技術打ち合わせ、自身の公演ともなればなかなか力んでしまいうまく立ち回れなかったりもしますが、今日もまた今井さんは

「今日の打ち合わせに必要なものはありますか?」と言う自分の問いに対して「気持ち」と一言。気合が入るのやら気が抜けるやらの回答っぷりでした。

何があっても前向きに、冷静に、人に優しく、そして挫けない。
大切なことは今井さんから教わってます。一緒に行くぜドラマシティ。

シェアする