現在絶賛保留中。
作品のハナシを進めたいのに人のハナシにすりかわっている。
だから前向きな話に一切ならずにお手上げ状態。
作品が完成していようがしていまいが本番は確実にやってくるわけで、いつまでものらりくらりとやっていた挙句「待ってください」「時間を下さい」「保留にしてください」と言われても、時間は今まで充分にあったのだから何をしていたんだ、と言う話です。それを油断と呼ばずになんと呼ぶのだろう。このまま未完成のまま初日を迎えるとしてお客さんに同じように「時間を下さい」と言えるのだろうか。別の文句が飛び出すのだろうか。刻一刻とタイムリミットは迫っていてカウントダウンは止まらない。なぜ「保留」と言えるのか不可解でならない。
報告事項の中に嘘が混じっているともはや連絡すらまともに取れない。
正当性や主張を述べる場合は、面白い作品で唸らせるか、もっと早い段階で準備しきって説得するか、出演者全員を納得させた上でそうしてほしい。そもそも舞台なんて面白くなかった時点で愛想つかされて二度と劇場に足を運んでもらえなくなるモノなんだけども。ごくごく当たり前な事なのだけれども。
主宰としての発言なのか、演出としての発言なのか、個人としての発言なのか、定義づけてから考えないので毎日の言動に食い違いが生じる。
話題を演出に限定するとして、演出家としてやっていくにはその手法や生き方は割と単純明快で
●自分の作品の見どころを言語化して他者を説得する言語力を備える
●作品そのものの構成で魅せる
●観た事もない手法で魅了する
●劇作以外の何かでモチベーションを上げる
●圧倒的カリスマで支持を得る
或いは、
●これらのいくつかをうまく使い分ける
のどれかに突出していると劇作を興し易い。このどれにも引っかからない人材が演出席に座ると、作品どころのハナシではなくなり、イメージの伝達はおろか、稽古場は「何言ってるかわからない」と迷子者が続出し混乱という名のパンデミックが巻き起こる危険性が出る。回避法として、演出助手が冴えまくっていたり、プロデューサーが方向指示をしてくれたり、或いは、出演者や座組の中の誰かがリーダーシップをとり演出助手の役割を担い自動的に補う場合もある。演出のほとんどは技術でどうにかなる。技術を身に付ける訓練を行なったかどうか、人間同士のコミュニケーションや言語能力、カリスマによる洗脳タイプ、自分がどれを目指していて、何をして来たか、自分に足りないものは何か、本日は好調か不調か。演出は他者を観察する前に自分の事を理解するべきだ。
議論の果てに「キミはこうだねぇ」と言われてもそんなことは百も承知で、あなた達が言わずに済んだ事や、言いづらくて言わなかった事を、わざわざ言語化して伝えるのが仕事なのだから、「正しい」「正しくない」などの判断や査定は結構なので、こちらの提案を受けて納得するか、納得が行かないならそれを上回る具体的代案で逆に説得してほしい。建設的な創作はその積み重ねだ。アイデアだけでもいい。
「お客さんがどう捉えて楽しむかを委ねる作風」
実に素敵な言葉だ。自由が尊重されていて美しい!
しかし主宰者側は「こう見せよう」と座組の足並みを揃えるべきで、それは基本というか最低ラインの演劇強度を作るための最低ラインの決まり事であって、その定義は「お金を取っているかどうか」や細分化すると「作品の入場料金の設定」で、ここで初めて観客の満足度が左右される土台が出来る。ルールは最低限必要で、曖昧であってはならない。
もっと細分化すると「この出演者が観たくて来た」「このチラシデザインが好き」など、別の要素も含んでて作品とは別の満足度を提供できる場合もあるし需要もあるのだろうが、そのあたりを言い出すとキリがないし、作品強度とスタンスの話だ。
裏を返せば「作り手が自由にやってるんだから自由に捉えてください」というスタンスは、これはもはや発表会レベルになり得る考え方で、本人たちにとっては「遊園地を作ってどれに乗るか自由に決めてください」と理念を掲げ胸を張っているつもりなのだろうが、足並みが揃える作業を怠っているうちは、空き地に「遊園地っぽい」ものを作って「っぽい」ものを見て「っぽい」感想を抱いて帰ってくださいと言っているようなものだ。
誰がお金を払って空き地に来るというんだろうか。
もはやセンスや好みの問題ではなく緊張感のハナシだ。毎日の積み重ねの中でありとあらゆる事を「保留」にし続けてきたそのツケが、当然の如く押し寄せてきている。そんな環境下に置かれた今、巻き返しを謀るべく具体的な打開策を練らず、そもそもスケジューリングにさえ難があったり機動力が失われている。それでも尚「保留」と述べ自己主張する者たちは、この切迫した中、別現場で別の創作をしている。こちらの捜索が「保留」にされ放置され、考える事しか許されない者たちはどうすれば良いのだ。チケットも売れないぞ。根本的に間に合っていない原因は誰の目にも明白で、原因を作った当事者が満足する作品レベルに到達させるべく追加された稽古や戯言に慢性的に付き合うしかない。具体的打開策があるならまだしも。
「泣いても笑っても」と言うが、泣きもせず笑いもせず、ただただ精神論を掲げ「成功させたいんです、それ以外は何も考えていないです」と言われても、「え、うん、成功させたいのは全員やん、イニシエよりそうやん、失敗させた人いたら挙手ゥ」となるだけで、精神論はわかった、立場上あなたにしか出来なくて、言えなくて、決められない事が山ほどあるのだからどれか一つずつでもクリアにして下さいとなる。ところが今の気持ちの理解者を募ったり、世界観の強化(段取りや選曲)という視野の狭い作業に徹し、自己満足の道をひた走るばかりだ。もう何を言っても届かない。ゲームセットだ。
そうであるなら、せめて自分がコントロールできる範囲内で、称賛されるべきタイミングで出演者が賞賛をしてもらえるタイミングを作るしかない。最終手段でもなく、毎日賢明な決断を続けて来た中、同じようにまた今日も賢明な判断を下すのみだ。
形態はともかく自分が手がける作品はスムーズに進行していて、日増しに面白さを身にまとい、出演者同士も演技プランの応酬が繰り広げられていて、脚本や演出の意図からブレないかどうかの微調整をする作業だ。あとはSNSのように良いところに「イイネ!」をする作業。出演者のほとんどが自分の脚本演出、初経験者である中、よくぞここまで上がって来ているなという感触。チームワークがとても良いので、劇場で観ていただける日が待ち遠しい。
しかし今回はそれだけではないの。全体構成が全てを狂わせる。やり方によっては全員が称賛されるかも知れないし、全員の努力が水泡に帰す可能性だってまだまだある。人事を尽くしても、尽くしても、縺れに縺れ泥仕合、現在絶賛保留中。
だからこの記事は、今自分に言える最大限の誠意と皮肉を込めてこう締めくくろう。
毎日勉強させていただいております!