さらばin→dependent theatre 1st。
昨日はin→dependent theatre 1stの閉館と、そして移転とリニューアルが発表された。色んな所縁のある演劇人たちの中でもSNSを通して噂になったし、全国的展開もしているので大きく揺れた。おれが演劇に憧れてこの世界に飛び込んだ時、扇町ミュージアムスクエア(通称OMS)が若手劇団の登竜門となっていて、あそこで公演をしている劇団は無条件でかっちょよかった。
OMSには一度も立てないままだったけれども、仕込みやバラシには参加していて劇場の空気はとても記憶に残っている。あの劇場がなくなった時、行き場を失った我々の道標となってくれたのがin→dependent theatreだった。もちろん他にもたくさん劇場はあったけれども、劇場プロデュースなど勢力的に活動を行い僕らに活躍の場を与えてくれたのは間違いなくin→dependent theatreで、僕らは出会い続けたりした。当時はまだ2ndもなくて、1stはまだ2Fにはフィギュア屋さんがあって、楽屋は上手の懐だけだった。
JUNGLEと書かれたファンキーでオタッキーなシャッターを初めて見たときにはその中に劇場があるだなんて思いもしなかったが、数々の劇団やユニットがあの空間で公演を行った。自分も思い出せるだけでも相当数の作品に立ち会っている。脚本を書いて初めて発表したのもあそこだったし、一人芝居「夕暮れ鬼とテディベア」もあそこで産声を上げた。あの劇場でもらう拍手が一等近くて嬉しかったりもした。あの閉鎖された舞台袖で、一人芝居のキンソン(M0)が流れると心臓が今でも飛び出そうになる。ウップス!
その劇場空間がリニューアルとはいえ、あの場所から姿を消すというのだから込み上げてくるものだらけだ。今年いっぱいはまだ上演される演目もあるから、お客さんも是非あの空間を覚えていて欲しいと思う。「あの劇場を基準に」と言ってしまっても過言ではないほどに、僕らにとっては活動の原点であったし、これから新しい劇場で新しい作品を作っていく事になろうとも、in→dependent theatre 1stに込めた魂はまだまだ胸の奥で燃え滾るのだろう。
片岡自動車工業として旗揚げ公演を行ったのが2ndで。電話の向こうで相内Pが「1stじゃなくて?」と訪ねてくれたのをよく覚えている。何度も訪れた1st。そう言えば自分は、2ndの杮落とし公演にも少しだけ噛んでいて、前進を続ける劇場を目の当たりにし続けていて、その中心とはいつも少しだけ離れた場所にいつもいた。出来上がったものに対してアレコレ言うのは簡単で、突き進む時に先の景色なんて見えないのに、またしても我々の道標となろうとしてくれているin→dependent theatreは崇高だと思う。だからこそ、まだ見ぬ劇作で劇場の歴史を刻み続けていきたい。表現者が劇場に活かされているのと同じように、劇場もまた表現者に活かされたりもするだろう。そうやってどんどんと公演が行われている新劇場の事を思うと、閉館の知らせのマイナス思考よりも新設劇場への期待でプラス思考が勝る。劇場の運営とは容易いものではないし、一つの興行を行うのも大変だけど、手を取り合って、また観客席にたくさんのお客さんが押し寄せる良い空間を、目指そうと勇気付けられました。
2020年夏にリニューアルされる新劇場でも相変わらず心血を注ぎたいと心から思います。
きっと今、関西で活躍する演劇人のほとんどがin→dependent theatre 1stに関わっているに違いない。間違いなく登竜門でした。
少し気が早いけど、お疲れ様でした。
たくさんお世話になりました。
本当にありがとうございました。
in→dependent theatre 1st。
そして相内さんも。
片岡自動車工業も負けないように邁進いたします。
2018年10月末 片岡百萬両