創作との向き合い方。

創作との向き合い方。

お久しぶりです。片岡自動車工業の片岡です。
緊急事態宣言が発令されてからこっち、予定していた舞台作品が次々と中止や延期に。劇場でやるのは、どうしても三密のどれかに当たってしまうし。

例えば換気が出来る状態にして、消毒や殺菌に最新の注意を払い、座席もソーシャルディスタンスを確保しつつ舞台上の俳優でさえも距離感を維持して、それで上演する作品が「観て良かった」と心から思ってもらえるものになるのだろうか? もうずっとそればっかり考えていますが、結局創作との向き合い方は変わらないような気がするのです。舞台表現での娯楽作品は大衆的な面と、その場で巻き起こる真実や迫力や感動なくして魅力が充分に発揮できないのではないか。少なくとも自分が考える娯楽はそうだった。

zoomなどでリモート演劇やライブ配信をしている表現者もたくさんいると思います。すごい事だと思います。今だから出来る素晴らしいアイディアだなと思いつつ、逆に今のような時世でなければ成立しないのではないか? 個人的な好みだけを述べると、ライブ感が画面越しになってしまうこの類のものは、多分衰退してゆくか、或いは演劇表現ではないもっと別のものに変化してゆくんじゃないか、と思っています。その道のプロフェッショナルもきっと現れて、もっともっとすごい事が展開されるんだろうなと思います。

だけど、自分が重きを置いている表現活動はそこじゃないんだな、と結論に何度も至ります。

今は劇場ではこれまで通りに上演する事は不可能に近い。だから無理をせず、力をじっくり貯めたいと思っています。だからと言って何もしていないわけではなくて、「真壁愛のドリップバッグ」のイラストデザインや、袋小路林檎さんのpococha配信一人芝居「ダム部のアイちゃん」、それから今まさに、ああでもない、こうでもないと言いながら毎日目まぐるしく実験を繰り返している新コンテンツと、もっと別の形で昇華を試みるエンターテイメントの演出。なんだかんだで例年よりも多い作業をこないしているような気がする。

だからと言って「今これやってます!」と声を大にして発信してゆくことにも一抹の疑念を抱いていて、普段通りに生活が送られていない職種の方々や、ちょっとそう言う発信を見るだけでしんどくなってしまう人たちもいるのではないか、と気を揉むとSNSを通しての発信にも、気を払っていますし、必要な事だと思っています。

家で飼い続けていた愛猫ふじが、リードをつけた時のみ外出するようになりました。出たがるので連れて行くんだけど小心者なので肩に乗ったまま一度も降りる事なく帰宅します。ただその眼差しは世界中のどんなことも興味を持ったそれで、風や音や空気や気温、子供の声、車の走る音、自転車のブレーキが軋む音、犬の息遣いや鳥の飛ぶ様子、全部を肌で感じ取って楽しそうです。

そんな愛猫ふじから学ぶ事は、やっぱり自分の目や耳や感覚全てで直接感じる事が面白いんだ、だからやっぱり舞台には舞台の揺るぎない魅力があって、再開できる未来を信じて今できることを精一杯して、無理に何かを犠牲にしながらの公演ではないものを作れるように準備しています。

山も海も川も星も雨も、どこでも行きたい。劇場もいこう。

その時が来るまでは、ちょっと演劇ではないけれども、楽しい連中と楽しいをお届けできる企画を考えてみています。

シェアする