スーパーソニックジェット赤子の解説。
こんばんわ。片岡です。寒くなってきました。
今日の記事では本作「スーパーソニックジェット赤子」について解説したいと思います。
ぼくは10年間主宰を務めたミジンコターボっていうおかしな名前の劇団がありました。最初は演出だけだったんだけども、後半はコント台本とか書き始めて主に新人公演のために脚本演出をするようになりました。
その5本目に当たるのが「スーパーソニックジェット赤子」という作品で。ついに新人が新人じゃなくなり始めた時に、ちゃんと劇団員たちがゲストと魅力的にバカを出来る作品を作りたいなぁと思った公演でした。そういえばの話。
とにかく実験好きだった自分が、そこまでの演出も出演履歴もまるっと含めて今自分の中にあるエンタメっていうのを真っ向勝負で作ってみよう。「こんなの面白くねぇや」とか「結局なんの話やったん」みたいな感想は上等の精神で、わかりやすくて、笑えて、グッと来る、最後には拍手がしたくなるような、ベタの積み重ねを、7年前の当時もあまり見かけなくなった毛色だったと思うんだけど、最近じゃますます見かけなくなった。
ベタには好き嫌いがあると思うけど、ベタな事もしないうちから型破りみたいな奇を衒った事をしても、それは型破りじゃなくて、そもそも型に対して不勉強なままなんだから、カタヤブリどころかカタナシになるんじゃないかな。
エンタメにはエンタメのメソッドがあると思ってて。
オープニング。爆音で音楽がかかって、役者がダンスして派手に照明がチカチカしてたら「ああ、オープニングなんですね」ってなるんだけど、そこにはちゃんと何故オープニングが必要か、考え抜かれた上で用意されたものだったらなんでも楽しめると思っている。
極論「物語上、必要ないけどオープニングがしたいねん!」っていうのもちゃんとした理由だし。今回の「スーパーソニックジェット赤子」はまさにその部類だけど、客席にいると、たまにそのオープニングいる?みたいな作品に遭遇します。一気に置いていかれた気持ちになって、その置いていかれた感は、追いつくことなく終演に至る事もしばしば。それはそれで何も入ってこなくて悲しくなる。
展開を読まれる事を恐れず、来ると分かっていてもその瞬間がきたらちゃんと心が動く。たった一回だけの公演でも十分に楽しめる。初日と千秋楽では出来が違う!みたいなまるで初日には生焼けのケーキを。千秋楽にはしっかりとしたケーキを振舞うような演劇の作り方を「ライブ感」と呼ぶ人もいるけど、ライブ感で言っちゃえば芸人さんに敵いっこないし、俳優は俳優にしかできない事を貫けばいいんじゃないだろうか、と悶々とした考えを持った若者だった自分が何かわからんけど物語は簡単で突き抜けてる!ってな芝居を目指して、自分の手の内を曝け出すような作品として仕上がったのが「スーパーソニックジェット赤子」だし、こんなおかしなタイトルだけど、現代における政治的なテーマにも触れているつもりで、要するにこの作品を通して世界が平和になればいいなぁと大スペクタルな願いも込めた作品です。
片岡自動車工業を手本にエンタメを作れ、なんて大それたことは言わないけど、片岡自動車工業の公演がエンタメの一つの形だと知ってもらえたらそれだけで価値はあるんじゃないかなぁ!
脚本、あんまり販売した事ないけど、やってみようかなぁ。
売れるかなぁ。
BANZAI FILMSさんが用意してくれた画像です。嬉しいよ!