予測タイムに狂いなし。
もう朝の4時半。11月23日。今日はツンとドラ「S」について考える。
今回の演目の構想は7年前に考えていたもので、最初はミュージカルで上演するための演目候補のひとつだったのだけど、参加者の年齢層が若すぎる為、別の演目となりました。時代も変わり立場も変わり演劇市場も変わり果てた今、正真正銘の新作として上演するのがこの作品。骨格はずっとずっとあった。現段階でまるで軟体生物のような事になっている。
今の自分にとって必要な経験が毎日畳み掛けている。欠けているものをもたらしてくれている毎日。
見渡せば、なんか酒飲みながら他の集団をディスり合うように「今の現場大変やねぇん」とか言う人だらけで驚愕。芝居は良いと思うものはとことんまで良くするもんだとばっかり思っていたおれには、稽古場での時間の使い方の違いにも衝撃を受ける。答えとしては「人の芝居を大事に出来ない人に、自分の芝居を大事に出来るはずがない」と言うことだ。おれは誰かを大事にするなら、それは最優先としているのが「客席のお客さん」であって、これが揺いだことは今までもないし、これからもない。
だから演出という立場でいる時、もちろんおれがやりたいと思ったアイディアも、おれのアイディアなんかよりもはるかに面白いプランを提供してくれるキャストやスタッフの意見は「思いつきませんでしたわ!それいただきます!」ってなれるんだけど、プライドや責任感やプレッシャーで「それは自分の作りたいものではないので違います」のスタンスの人を見ると、なんて勿体ないんだろうと思うばかり。きっと人になんて興味がなくて自分の威厳ばかりを考えているんじゃないか。演出は絶対的に演出であるべきだけど、人の意見を取り入れる度量も必要なんじゃないか。事実、片岡自動車工業で出演してくれた人たちのプランはかなり舞台に乗っている。でもそれは演出のオーダーを全力でクリアにした人がプラスアルファで繰り出してくるアイディアばかり、だからこそ志を共にできる。
まぁ台詞もろくに入ってない状態で「ああでもない、こうでもない」とか言うような表現者は別の事をすれば良いと思ったりもする。人事を尽くすのはそう言う事だと思っていてそれが当たり前だと思っていたけど、そうじゃない人もたくさんいるんだなぁ。
「ツンとドラ大変そうやけど大丈夫?」
とかめちゃめちゃ言われる。大丈夫やねん。大丈夫じゃなくても大丈夫にするねん。みんなで。あなたたちが聞きたい「大丈夫?」の部分ってさ、飲み会で「あそこやっぱヤバイらしいで」とハイボールでも飲みながら、酒の肴にする話題作りなんでしょ。大丈夫、名作を産みます。そしてツンとドラがどうかって事よりも「S」と言う作品がどうかって話です。
ええもん作るってさ、簡単な事じゃないし、どこまでも面白くなる可能性があるなら、とことんまでやるべきでしょ。名作は最高傑作に、最高傑作だってもっとその上に行く可能性があるんだ。
妥協なんてしたくねぇ!
いつも大事にしているのは観に来てくれるお客さんだ。
おれたちの休憩時間や燃費ではない!
さて本日通し稽古。「現実」と「空想」の両作品。
おれは言い訳しない。そして台本持ってて良いよだなんてことも言わない。だってあったでしょ。ひと月以上も前から本配布してたでしょ? 覚えてないのは君らの力不足ではなく、単純に怠けでしょ。昨日今日台本渡されたわけでもあるまいし。
いろんな意味で楽しみだ。
ちなみに前回初めて通しをしたけれど、予測タイムに狂いがなかった。いろんな歯車がどんなロスを生むかも計算した上での予想。そしてこの芝居、あっという間に終わる。体感時間が本当に短い。少なくとも「現実側」は。そんな作り。