属性について。
なるべくポップに生きるように心がけています。どうも片岡です。
SNS文化と呼ぶべきかいいね時代と呼ぶべきか。BLOGもついぞ、知る人ぞ知る的な感じになっているという自覚もある。だからこそ書ける事もあるね。
芝居なんて打たなきゃ忘れられちゃうし、役者なんて作家がいなくちゃ即興かイベントしか出来ない職種であるという古い考えを持っているおれです。だからこそ共存しなくちゃいけないのに、わりと狭いところでいがみあったり責めたり守ったり、同業者から搾取するような感覚も覚える。ところでおれは片岡自動車工業という一人でやっている身分なので、攻撃力も防御力も、技もたくさん身につけなきゃすぐに殺されてしまうんじゃないか。とも思うわけです。
まぁそこらへんにアンテナ張ってる人同士での仲なら、そういう駆け引きも出来るけれども、気楽に何も考えずにやってる者もいて、ヒヤヒヤする。才能ある者が、考える事において劣っているというだけで、どんどん消えてしまうのは物悲しい。
ところで自分はそういった人たちと手を取り合って、スクラムを組む事で勝ち負けでいうところの勝ちをもぎ取りに行きたいと考え続けていたわけですね。かつて。劇団時代は。あの頃と今の自分では結構思想も変わってる。夢見がちな事はあまり口にしなくなった。
「演劇で飯食いましょうね」
って言いながら劇団やってるやつをみると「マジか」ってなる。もちろん不可能だなんて思ってないけど、要するに「演劇で飯を食う」事に対して、そこまでのビジョンや作戦がハッキリしてないやつほどそれを言う。どうしたって首を縦には触れない。最近考えている事のひとつ。演劇ってなんつーか、ビジネスとはわりと遠いところにあって、心意気とか、いい作品にひたむきになる馬鹿さこそが美しかったり、心を動かされたりするって今でも信じてるからさ。たくさん観てもらえる努力はするけど、宣伝もしないくせにギャラだけは一丁前に決まってるやつを見るにつけ、血の気が引く。そういう輩の演技に心を動かされた事もない。なんなんだろう。まだ答えは出ていない。
タイトルにある「属性について」の話。
SNSは文字で人柄が見える。がんばるぞ!って書いてるけど心配を煽るような記事ばかり上げたりするのは計算なのか天然なのかはわかんないけど、おもしろくはない。おいしそうでもない。いい気分にはならない。そういうのがここらへんみたいなのを箇条書きにしてみます。
●今日熱ある関係のコメントに体温計の写真載っけるタイプ。
●嫌な事あったけどスッキリしたから明日もがんばるって書いてるタイプ。
●自撮りが微妙に本人寄りになっていて、誰かと写っているけどその誰かを利用してるタイプ。
●ただただ気持ちを垂れ流しているタイプ。
●明らかに個人に宛ててるであろう文章の恋文タイプ。
●主語は省いてるけど、悪意を特定の人間にぶつけているタイプ。
●ドジアピールタイプ。
●身内と友達の境界線があやふやで「仲いいんです!」だけが伝わるタイプ。
いつか、こういう登場人物だらけの人間が一同に介して、なにも話が進まないコントでも作ってみたいと思ったりもする。立派な現代病だ。
ちっともドラクエの画像の意味がない記事になっちまった。
あ。次回公演に向けてせっせせっせと準備中。1日1歩と数センチ。
吐くまでがんばる。吐いてもがんばる。何を吐くかは内緒。