明らかな悪意。

明らかな悪意。

おれです。

世渡りがうまいかわりに、言いたい事のひとつも言えず、目の前の問題からも目を逸らして、身内だけを愛してるような輩に限って陰口言ってやがんだな。また、その感情をシェアしようとして口が軽くなって、自分がなるべく共感してくれそうな友人みたいな人物にそれを口に出す。陰でこそこそ動き回るようにもなる。なんかそのおかげである種のコミュニティーが生まれて、その中で活き活きする。こうなるともういよいよ止まらない。

と書いておいて最近おもう事をまとめると。
なんか悲しい、そういう生き方。もっと自分を楽しんだらいいのに。誰かを悪者にしなくちゃ気が済まないって人がどうしてもいるけど、じゃあせめておれでよかったら悪者にしてくれていいよ。ってくらいにはなった。そりゃつっかかったりもすることもあるけど、人間関係なんて鏡を覗き込むようなもんなんだから。手に取るようにわかるよ。

おれ自身でさえ、なんやそれ。って思うものはスルーするようにしてるけど、そもそもスルー自体が先方にとっては刃であり攻撃でもあるのかもしれない。被害者ぶってる人が実は加害中だったりする事もよくわかってる。

人なんて、結局どんな時代になっても1対1でしかないのにね。なんでみんなリンチみたいな事したがるんだろうね。

どうしても自分から見限る事が出来ないおれは、結局見限られたりする事もあったりするけど、どっちが先かってだけの話だし。それがわかっててもなお、おれは見限るなんて事は出来ない。期待に応える努力も惜しまないような人間でありたい。

だからさ。敢えて書くけど今おれのまわりにいてくれている人たちは心から大事にしたいなと思う。贅沢はできない身分だけど、例えば誰かさんに「身内だけを愛して、あいつ顔面ズタズタになって死ねばいい」って思われたとしてもね。演劇にしがみついて何がいけないのか。よくわかんないけど、しがみついてるわけでもないし。

それでもおれは、例え不義理な相手でも、怒ったり責めたりしないで済むように、10年後の万が一に備えて、許したり納得したり出来るように、ただそうありたい。

作る芝居の内容が徐々に変わってきた。それは「ゼクシーナンシーモーニングララバイ」の初演から始まっていたんだと思う。「何億年先でも」は凝縮してみたりもした。稽古場は二人きりだけど、笑顔は絶えない。

先生。
残すな給食!って無理矢理おれの口に突っ込んだ「イカのマヨネーズ和え」。あのときおれは休んでる同級生たちの牛乳と自分の牛乳4本でなんとか流し込んだけど、イカはなんとか食べられるようになったぜ。マヨネーズはまだダメなんだけど。まだまだだな。

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